三年後、会社を辞めて旅に出よう

アラフィフシングルライフ

キラマガツーのこと(2)

高速船が渡嘉敷港に到着した。やはり那覇とくらべると落ち着いて静かだ。

f:id:mnw538:20210330091926j:plain

まず、渡嘉敷村の公式サイトに鰹節製造工場跡というものが掲載されていたのでそこを見に行くことにした。

www.vill.tokashiki.okinawa.jpといってもフェリーターミナルから歩いて3分ぐらい。交番(駐在所?)の陰にかくれるように立っているレンガの煙突がそれだった。説明板など見当たらずそっけない感じ。

f:id:mnw538:20210330090211j:plain

そして結論から言うと、この煙突以外にカツオ漁や鰹節に関わるようなものには出会えなかった。漁業組合はあるがマグロが主な水揚げのようだ。

名産品もまぐろジャーキーだし、数少ない食堂でも私がいった時にはカツオはメニューに載っていなかった。もしかしたら新鮮なカツオの刺身が食べられるのでは、と期待していったのだが残念。

 

 渡嘉敷島はビーチ以外にはほとんど観光する場所は無い。まあ、そのビーチがすばらしいので他に必要無いといえばないのだが。しかし那覇に帰る船の時間まで、いちおう見てまわってみた。

 照山展望台で撮った360°パノラマ写真。渡嘉志久ビーチと阿波連ビーチの青さと、沖に見える阿嘉島安室島座間味島

f:id:mnw538:20210330093350j:plain

 見花原(みはなばる)遊歩道で撮った360°パノラマ写真。高台にあり沖縄ではめずらしい、開けた景色がみられた。

f:id:mnw538:20210403071127j:plain

松の低木がたくさん生えているが、これは風の影響でこうなっているそうだ。

f:id:mnw538:20210403071853j:plain

午後になって雲が多くなったが、天気が良ければ青い海だったはず。

f:id:mnw538:20210403071953j:plain

 カツオ関係のものには行き当らなかったが、久しぶりに離島にこれてよかった。

あと、キラマガツーでは海岸近くの琉球松を伐採して裸同然にしたせいで、カツオ漁の餌となる小魚が減ったという考察が書かれていた。カツオ漁をしていた頃から半世紀以上がすぎたおかげか、そういうふうには見えなかった。どの山も青々として立派な琉球松があった。南の島の自然回復力はすごいということか。

 

キラマガツーのこと(1)

週末に日帰りで慶良間諸島渡嘉敷島にいってきた。新型コロナウィルスの感染拡大がつづいているおりだが、ちゃんとマスクをして社会的距離をとって行動をしていたので容赦してもらいたい。

まだ泳ぐには早い3月末になにをしにわざわざ、という感想をもたれると思うが今回の小旅行の理由は「キラマガツー 慶良間の鰹一本釣り」という本をよんだことである。著者の兼島秀光氏は戦後の渡嘉敷島でカツオ漁に従事していたということで、経験者にしかわからないことが、平明達意な文章で描かれており面白い。とくにカツオ好きの人でなくても一読をお勧めする。カツオ大好きな私としては大ヒットだった。

f:id:mnw538:20210330075850j:plain私は沖縄県立図書館で借りて読んだ。

沖縄は鰹節の消費量が日本一、つまりは世界で一番消費しているということだが現在は県内で鰹節製造は行われていない。戦前戦後には渡嘉敷島座間味島、本部などで鰹節をつくっていたとのことだが、本島南部では「キラマガツー」つまり慶良間の鰹節が好評をえていたとのこと。鰹節をつくるため、慶良間諸島ではカツオ漁がさかんだったということだ。

f:id:mnw538:20210330081645p:plain

f:id:mnw538:20210330084515j:plain

いろいろな理由がかさなって渡嘉敷島のカツオ漁と鰹節製造は1964年ごろに廃業となったとのことだが、カツオ好きの私としては何かしら面影が残っていないか見に行ってみようと思いたったのだった。それに新型コロナウィルスのせいでぜんぜん旅行ができないから気晴らしのためという理由もある。

渡嘉敷島にはとまりんから船がでている。気温は暑くも寒くもない22℃の朝。降水確率10%以下という絶好のコンディションだ。

f:id:mnw538:20210330085127j:plain

f:id:mnw538:20210330085421j:plain

とまりんまで徒歩で15分。AM9:00発の高速船で40分たらずで渡嘉敷島へ。やっぱり那覇は便利だ。

 

 

 

 

沖縄脱力カンバンの9

国道58号線。県民にはゴーパチと呼ばれしたしまれている沖縄本島のメインストリート。その58号線の浦添市にある看板。

f:id:mnw538:20210329094115j:plain

赤一色で非常に目立つ不動産会社の看板にかかれている「グ♪グ♪グ♪軍用地 ニャニャ♪ニャニャン」というコピー(?)。

まず軍用地という非日常的な単語、沖縄の事情にくわしいひとならば知っているとおもうが、米軍基地の土地には借地料が払われている。このため県内では安定した投資先として不動産屋で売買されている。しかし、それとニャニャ♪ニャニャンというのがどう結びつくのか。

www.youtube.comどうもネットを検索したら、この会社のCMのサウンドロゴと関係があるらしい。会社のホームページをみるとマスコットとして猫が使われているため、こういうことになったらしいが猫と軍用地のミスマッチ感がすごい。

 

まめ知識:ティンベーを亀の甲で作るときは

 ティンベーを、亀の甲で作るときは、裏側の脊椎を全部削らず二点残し、それに取手を固定するのがよい。

f:id:mnw538:20210329091823j:plain

インターネットの一部界隈で人気の防具ティンベー。沖縄県立図書館に所蔵されている「琉球古武術 中」からの情報。実際につくってみなくてはわからないが、無駄知識である。

 

琉球交易港図屏風のこと-2

琉球交易港図屏風』は浦添市美術館に所蔵されているとのこと。実物をみられるかもということで電話して聞いてみたら現在は公開されておらず、来年度も公開予定がないとのこと。残念。ただ複製品は常設展示されていとのこと。せっかくなので行ってみることにする。浦添市美術館にいくのは何年振りか。たしか前回は葛飾北斎の『琉球八景』が展示されたときだ。那覇からは330を車で10分くらい。しずかないい環境だ。

f:id:mnw538:20210307073351j:plain

200円を払って入場。通路を入ってすぐ大きな『琉球交易港図屏風』がかけられていた。模造品だが、実物より大きくて見やすくていい。

f:id:mnw538:20210307073639j:plain

こんな風に船に給水するしかけがあったらしいが、どこのことかさっぱり見当がつかない。那覇市山下町にあった湧き水とのことらしいが…

f:id:mnw538:20210307074326j:plain

波之上で酒盛りや博打をやっている人たち。小さく単純化されているが楽しそうなのが伝わってくる。

f:id:mnw538:20210307074827j:plain

倭寇那覇港への侵入を防いでいた三重城。むかしは岩場に橋を渡した砦だったのか。今ではロワジールホテルの裏の遊歩道沿いにあり面影がかさならない。

f:id:mnw538:20210307075224j:plain

琉球交易港図屏風』を見ていると、昔の那覇と今の那覇の違いがすごく気になってくる。もうちょっと沖縄県立図書館に通って調べてみようと思う。

琉球交易港図屏風のこと-1

旭橋の縄県立図書館の最上階フロアである五階には郷土資料室がある。ここには沖縄関連の出版物が所蔵されており、たぶん世界中で一番沖縄県に関する資料があつまっている場所だ。県出身者の著作だけではなく、沖縄に関する紀行文や沖縄を舞台にした小説、さらには県産品についての記述があるだけの本もあったりして調べ物をするのに便利だ。

f:id:mnw538:20210307061447j:plain

f:id:mnw538:20210307061508j:plain

先日図書館にいき本を物色しているとき目についたのがこれ。『日本近世生活絵引 奄美・沖縄編』。手に取ってみて面白そうな本のにおいを感じてひらいてみたらこれが大当たり。出版元は非文字資料研究センターというところだそうだが、文字資料ではなく絵を読み解くという研究をしているところで、奄美・沖縄編では『琉球交易港図屏風』等をとりあげて解説している。

f:id:mnw538:20210307062932j:plain

琉球交易港図が描かれたのは19世紀。那覇港をいきかう中国との交易船やハーリーの様子を中心に那覇の町のようすが描かれている屏風絵だ。『洛中洛外図屏風』などとおなじく当時の那覇にすんだいろいろな人々の生活を垣間見ることができるが、単にみるだけではわからないことが多い。絵はやはり「読み物」であり知識がなくてはその意味はわからない。

f:id:mnw538:20210307065615j:plain

この本では、屏風絵の部分部分を拡大してを取り上げ、描かれたものに対する解説をていねいにつけておりわかりやすく興味ぶかい。下の部分で私は船に日の丸が掲げられていることや、船員が着ている服が明らかにズボンで和服や琉装ともちがっていることが気になった。中国人の船員が多かったのか。

f:id:mnw538:20210307070035j:plain

また、今の那覇にのこる地名が見える点。それから今の那覇市街とはずいぶんと地形がちがっているところがはっきりとわかる。ただ屏風絵では地理的な正確性はあまり重視されていないため三重城や波之上、天久などの地理関係はちょっと混乱するかもしれない。

f:id:mnw538:20210307070924j:plain

それにしても、当時の那覇には馬場があって馬勝負(琉球式の競馬)が行われていたとか、波之上には当時から鳥居があったこと。またその近くにバクキヤ(博打屋?)があって人が興じていることなど。こまかく見ているといくら時間があってもたりないくらい面白い。

 

 

 

 

 

 

 

緑ヶ丘公園で花見

沖縄で花見というと、本島なら北部の名護や八重岳まで車で行き、緋寒桜の並木道を車で通り抜けるというのがメジャーな方法である。

車なので出先で酒をのんで宴会というわけにもいかないし、もともと県内では緋寒桜の本数も多くない上に、緋寒桜自身も花の付き方がソメイヨシノほど密集しておらず地味目だ。そんなわけで沖縄に来てから桜のしたで酒を飲むという、機会はなかった。

那覇市内の桜の名所といえば与儀公園だが、家から歩いていくにはちょっと遠い。いや散歩ということならいいのだが、花見といえばお酒。後のことを考えるともう少し近所がありがたい。

f:id:mnw538:20210220140249j:plain与儀公園の桜

f:id:mnw538:20210220140428j:plain桜以外の春の花が満開

というわけで、国際通りからニューパラダイス通りに入ってすぐにある緑ヶ丘公園。この園内の桜をつまみに酒でもやっつけてみようと思った。しかしそんなに大荷物をもってというのも面倒だ。昼間なのでビール2本だけとしておこう。

f:id:mnw538:20210220140713j:plainコロナに勝つ

f:id:mnw538:20210220140859j:plain沖縄天ぷらにオリオンビール

 緑ヶ丘公園は国際通りのすぐそばにあるが観光地というわけではなく、いつも地元の若者がスポーツに興じている場所だ。牧志出身の飲み屋の店員さんによると、子供のころいつも友達とあつまって遊んでいた場所。酒を覚えたのもこの公園で、昔はよく酔いつぶれて朝まで寝ていたとかなんとか。

ぽかぽか陽気の中で昼からのビールはよく効く。横になって空を見上げると青空。目を閉じてうつらうつらしていると、今の自分はコロナに勝っている気がした。あと人生に対しても、ちょっと勝っていると思った。