三年後、会社を辞めて旅に出よう

アラフィフシングルライフ

水五訓からの連想

WEBを徘徊していてはじめて知った「水五訓」というもの。戦国時代の武将、黒田官兵衛のことばとして下記の文章がならんでいた。

 

一.自ら活動して他を動かしむるは水なり

二.常に己の進路を求めて止まざるは水なり

三.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

四.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

五.洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
     雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)
     たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり

 

一読してこりゃウソだろうと思った。昔から日本史好きで読書というよりは濫読をしてきたが、黒田官兵衛がこんな文言を残したなんて一度も読んだ覚えがない。そして文章全体にただよう道学臭。元亀天正という騒乱の時代を生きた武将のことばとは思えない。

気になってgoogle検索でしらべてみたが、やはり同じことを考える人がいたようでネタ元を高島俊夫氏が見つけていたとの由。

mizuwokatarukai.org

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なぜこの言葉が黒田官兵衛のものとして伝えられたかについては、官兵衛の号である如水からの連想。またあまり知名度が高くない大野某氏よりも、黒田官兵衛のことばとしたほうが有難みがあるから、ということだろう。

 

それにしても、第五訓から感じる違和感がすごい。水が蒸発して雲に変わり雨となって降ってくる、などというイメージが戦国末の日本にあったとは絶対におもえない。水の循環について認識されるようになったのはヨーロッパでも19世紀とのこと。

雨はどこへいくのか│17号 雨のゆくえ:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター

本邦においては方丈記の冒頭で「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と詠まれたものの、その源についてまでは意がおよんでいなかったようだ。やはり明治の文明開化により輸入された概念だろうと思われる。これを絵画で表現したのが、横山大観の「生々流転」だ。

bunka.nii.ac.jp描かれたのは大正12年(西暦1923年)。天から降った雨滴が、あつまり河となって海へそそぎ、最後は龍となって昇天する壮大な絵巻物。上野の国立近代美術館でみた記憶がある。その見ごたえに圧倒されたが、反面ちょっと知におちすぎというか考え落ちじゃないかともおもったものだ。

水五訓への疑問からからいろいろ調べてみたが、コロナ禍がおさまったら上野へいって博物館や美術館をまわりたいなあ、というところに落ち着いた。